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飴の歴史
ご存じですか?飴の歴史
飴というと、現在ではお菓子の一種として認識されていますが、昔は調味料としての役割、つまり、甘味料として使うことが多かったのです。
なんと『日本書紀』にはすでに「あめ」が登場していますが、この「あめ」は水あめの事です。
「神武天皇が大和高尾で水無飴を作った」という記述が残されています。
麦芽にはジアスターゼという酵素が多く含まれ、これが炭水化物に作用すると麦芽糖になります。
糖というのはいわゆる「甘い」ものですね。
でんぷんに酵素である麦芽を加えると、もともと何の味も無いでんぷんから、甘い糖の溶液ができます。これをしぼって煮詰めると水あめができるのです。
古代の人々は何らかのきっかけで、この化学反応を発見し「水あめ」を作り出しました。
「あめ」という言葉の語源は「あま味」「あま水」つまり「甘い」という言葉から来ているようです。そして「水あめ」は貴重な甘味料、栄養源として人々の生活になくてはならないものになりました。
平安時代の文献には「あめ」の記録が残っており、原料は米もやしだと伝えられています。既に京の都では「あめ」を売っているお店があったようですが、この頃はやはり「水あめ」でした。お菓子ではなく、あくまでも調味料としての甘味だったようです。
室町時代には砂糖が輸入されるようになりましたが、一般庶民に手の届くものではなくやはり甘味といえば日本書紀の頃と同じ製法で作った「水あめ」を使用していました。また相変わらずお菓子としてではなく、調味料としてしか認識されていませんでした。
固形の飴が出回るようになったのは江戸時代です。この頃になると砂糖も高級品ながら一般社会とは無縁のものではなくなり、それに伴い飴は完全にお菓子として扱われるようになりました。
飴売りという職業もあらわれ、子供たちの人気を集めたようです。
まさに飴は日本古来の伝統的なお菓子なのです。
大文字飴はこの「飴」を通じ、日本古来の懐かしい自然な甘味を、現代の皆さまにお届けします。